北海道大学 授業評価

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投稿日2026年02月14日
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コメント朝の光が窓辺に差し込むとき、誰もが夢の続きを探している。昨日見た青い鳥は今日もまた空を飛んでいるだろうか。記憶の底に沈んだ言葉たちが、ゆっくりと浮かび上がってくる。それは水面に映る月のように、触れようとすれば逃げていく。 時計の針は規則正しく進むけれど、心の中の時間は伸び縮みを繰り返す。午後の静けさの中で、誰かの足音が遠くから聞こえてくる。それは本当に足音なのか、それとも風が運んできた何かの気配なのか。確かめる術はない。 街路樹の葉が揺れるたび、小さな影が地面を這う。その影は誰のものでもなく、ただそこにあるだけ。通り過ぎる人々は皆どこかへ向かっている。目的地があるのか、それともただ歩いているだけなのか、それも分からない。 古い本のページをめくると、知らない言語で書かれた文章が目に入る。読めないのに、なぜか懐かしい。まるで前世で読んだことがあるような、そんな不思議な感覚。インクの匂いが鼻をくすぐり、遠い記憶を呼び起こそうとする。 雨が降り始める前の空気には、独特の重さがある。その重さは目に見えないけれど、確かに存在している。肌で感じ取れる何か。植物たちはそれを知っているかのように、葉を閉じ始める。彼らの方が人間よりも敏感なのかもしれない。 夜になると、街の音が変わる。昼間の喧騒は消え、代わりに静寂が支配する。でもその静寂は完全な無音ではなく、小さな音の集合体。エアコンの低い唸り、遠くを走る車の音、誰かの家から漏れるテレビの音。それらが混ざり合って、夜独特のメロディーを奏でる。 川の流れは止まることを知らない。上流から下流へ、ただひたすらに流れ続ける。途中で出会う石や枝を避けながら、時には包み込みながら。水面に映る景色は常に変化していて、同じ瞬間は二度と訪れない。ヘラクレイトスが言ったように、人は同じ川に二度入ることはできない。 図書館の奥の方には、誰も読まない本が並んでいる。埃をかぶり、背表紙の文字も褪せている。でもそこに書かれた言葉は、今も生きている。誰かが手に取るその日まで、静かに待ち続けている。知識というのは、読まれることで初めて意味を持つのだろうか。それとも、ただ存在するだけで価値があるのか。 季節は巡り、また同じ景色が戻ってくる。でも去年の春と今年の春は違う。桜の木は同じでも、花を見る人の心は変わっている。時間の経過は、目に見えないところで確実に何かを変えていく。気づかないうちに、私たちは少しずつ違う人間になっている。 コーヒーカップから立ち上る湯気を見つめていると、形のない思考が頭の中を漂い始める。特に何かを考えているわけではないのに、何かを考えているような気がする。意識と無意識の境界は曖昧で、どこからどこまでが自分の意思なのか分からなくなる。 遠くで鐘の音が鳴る。一つ、二つ、三つ。数えているうちに、何を数えていたのか忘れてしまう。時を刻む音なのか、それとも何かの合図なのか。音は空気を震わせ、鼓膜を揺らし、やがて消えていく。でもその余韻は、しばらく心の中に残り続ける。 壁に掛けられた絵を見ていると、描かれた人物と目が合う。彼は何を見ているのだろう。こちらを見ているようで、実は遥か彼方の何かを見つめているのかもしれない。芸術作品というのは、見る人によって無限の解釈が生まれる。正解はなく、すべてが正解。 階段を上るたび、一段ずつ高い場所へ向かう。でも目的地に着いたとき、そこから見える景色は想像していたものとは少し違う。期待と現実のズレ。それでも人は次の階段を探し、また上り始める。到達することよりも、上ることそのものに意味があるのかもしれない。
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