東北大学 授業評価

鬼仏表 > [ 東北大学  投稿]

 
教官H.S.
教科(講座)無機化学の講義です。講義名の公表は控えさせて頂きます。
投稿者
投稿日2020年08月13日
評価
テスト
レポートあり
出席あり
コメント▶︎空欄の多いスライドに電子黒板を用いて内容を書き込んでいく、という講義スタイルであったが、これが醜悪であった。電子黒板の接続や操作がままならないせいで、講義が幾度となくストップしてかなりの時間を無駄にしただけでなく、講義のテンポが非常に悪いものとなった。5月からのオンライン講義に入る前に、1ヶ月ほど準備期間があったのだが、この期間に接続や操作の練習を全くしなかったのであろうか、と疑問を感じた。 そもそも空欄の多いスライドが劣悪であると思う。なぜ内容があらかじめ記入してあるスライドではなく、わざわざ空欄の多いものを用意しそこに板書していくという形式を取る必要があったのだろうか。他の講義でも電子黒板は度々用いられたが、例えば有機化学系の講義における巻矢印など、それはあくまでも補助的なものであった。(人のことは言えないが、)板書の図表や文字があまり綺麗ではないこともあり、この板書をメインにしたせいで、スライドが見にくく理解しにくいものとなった。ここまでの結果として、講義を構成する全ての要素が、内容の理解に対する大きな障壁となってしまったと考える。 ▶︎課題を毎週出す割に、解説は一切ないと思っていたら、とある週にまとめて解説を行った。学習効果の観点から、本来であれば解説は毎週行うべきであると思うのだが、そうはならなかったのだ。しかもこれはシラバスに組み込まれておらず、いわば突発的に行われたものであった。極め付きは、このような適当な解説を途中に一度しか行わなかったため、セメスター後半の課題についてはとうとう何の解説もなされなかったことである。以上に加え、解答に対し一切評点が返ってこない(=成績の付け方が不透明である)ことからも、課題に関して良い点がほぼなかったと言えるのではないか。 ただ、課題自体は講義内容の理解を助けるものが多く、出題としてかなり良かったと感じている。解説を毎週予定通り行う、評点を学生にはっきりと示す、といった単純な改善によって、課題に対する満足度はかなり高いものになるに相違ない。 ▶︎二度だけではあるが、会議があるのでと言って講義が早く終了したことがあった。この先生の講義を受けたのは初めてであり、オンライン講義だから会議を優先してしまったのか、それとも普段の対面授業のときからこのようなことがあるのかは分からない。 どちらにせよ、会議を優先し適当なままに講義を終えたことに対し、これが本当に指定国立大学・東北大学の講義であるのか、こんなことが許されていいのか、このような講義を受けるために様々な苦労を経て大学に入ったのか、などと憤りを感じると共に虚無感をも感じてしまった。 ▶︎下手な電子黒板の操作、空欄の多いスライド、突如まとめて行われる解説、会議を優先する態度。以上のような要因から、全体として「いいかげん」な講義であった、という所感である。思えば無機分析化学系の講義では、以前のセメスターのとある講義において、本来6章まで進むはずの教科書が3章までしか進まない、ということがあった。このような状況、そして今回の講義から、「(分析化学はさておいて)無機化学に関してはほぼ全て独学せざるを得ない」という認識が学生の間で広まるほどとなった。 残念なことに、私のように非力な学生が愚かにも少し独学したからといって、どうにかなるという訳はなく、無機化学という学問に対し深い知見を得ることができたのかどうか、と問われれば、個人的には口を閉ざす他無くなってしまう。しかしもちろん、講義や課題といった与えられたものだけをこなすような、受け身の学習姿勢では学生として全く駄目であること、本来であれば、独学や自習をするのは当たり前で、さらにそこから自発的に日々学友たちと深く議論を交わし、切磋琢磨する学習態度こそが、真に学問に対する理解を深めるような、学生としての正しいあり方であること、そのあり方は大学入学から現時点までで身につけておかねばならないことは重々承知している。であるから、そもそも「独学『せざるを得ない』」というような認識が今も広まっているのは、大学生としての根源的な学習態度、ひいては大学そのものに対する冒涜であり、私は当然のこと、学生一人一人が大いに反省すべき問題、改革していくべき「いいかげん」な意識である。 しかしこのようなことと、この講義が適当である状態とは全く関係がないのではないかと考える。我々が学生としての意識が低く、いいかげんな態度を取るのが完全に間違いであることと対称的に、いいかげんな講義であった、というような印象を学生に抱かせてしまっている状態も完全に間違っているのではないだろうか。 ▶︎東北大学理学部化学科化学研究科は有機化学分野をはじめとして世界に対してめざましい成果を上げている、というのは一般的に広く了解されているところであり、その功績により、国から指定国立大学に認定されるほどである。しかし学内では、学生も(部分的に)大学もいいかげんであり、先述の通り、これが本当に指定国立大学・東北大学であるのか、このような講義や大学環境で本当に良いのか、という疑念が生じても何らおかしくないものとなってしまっている。 一方で、(私はまだ研究室に所属しておらず、最先端の状況を理解しているわけではないが、)年々研究以外の余計な作業が増えており、研究どころではないほど忙しいという話をよく耳にする。このような状況の中で、研究室に所属すらしていないような未熟な学生のことにまで手を回すのは困難だということは容易に想像できる。 しかしこの状況だからこそ、今一度大学とは何か、学問とは何か、学生とは何か、教育とは何か、などということを我々そして大学が見つめ直し、講義及びカリキュラムの抜本的な改革をすることによって、全ての学生を育てつつ世界一の研究を生み出すことのできる、今より素晴らしい大学環境の構築を達成できると確信している。 では具体的にどのような改革を行うべきか、という点についてであるが、これはそもそも一講義の授業評価にすぎず、余りにも話が逸れてしまうためここで述べることはしない。しないが、この冗長で稚拙な文章が、同じように問題意識を持つ人間の目に触れることで改革へのわずかな、しかし確かな一歩となることを願っている。
ツイート